勤労世代の5人に2人は、納税で社会に貢献するどころか 稼ぎが悪くて社会のお荷物になっているという図式に

消費税増税に関する三党合意についてなど、細やかな政策上の経緯や是非は脇に起きますが、基本的には、消費税増税を行う意図というのは、一部は増え続ける社会保障費などの歳出を支えるためには増税が必要、というコンセンサスがありました。

本当に消費税を増税すれば国庫への歳入が増えるかどうかはともかく、社会全体として「このまま社会保障費が増えて国が成り立つのか」「財政は大丈夫なのか」という検討は、どこかでしっかりとしておく必要はあると思います。

財務省が発表している歳入・歳出と公債発行額の推移を示したグラフ,税収が57.6兆円で公債発行額が34.4兆円,歳出が96.7兆円となっている

もちろん、国家の経理さんの役どころである財務省は「大変だ、大変だ」と言い続けています。「いや、埋蔵金はあるのだ」とか「国家は経常収支が黒字であれば、国民が国家をファイナンスし続けられるわけだから、国家はデフォルトすることはない」などという議論は百出します。正直申し上げて、国庫が破綻するかどうかは、本当のところは誰にもわからないのだろうと思います。

しかしながら、わかりにくいマクロ経済や国家財政の話を抜きにして、国民一人ひとりが納税した金額と、実際に受けられる市民サービスの一人当たりの単価を見比べれば、その人が納めた税金で社会が本当に回せているのかがわかります。

そして、結論から先に言うならば、我が国の労働世代の5人に2人は、働いて税金を納めることで社会に対して貢献するどころか、稼ぎが悪くて社会のお荷物になっているという図式になっていることがわかります。

社会保障費を考える上で、社会で「当たり前のように受けられる」はずの公共サービスには、当然ですがコストがかかっていて、そのコストは誰かが納める税金が充てられているのだ、ということを理解する必要があるのです。
千葉市の市政サービスの見える化で、透明性と納得感の裏に…

基礎自治体がユニークな首長を戴くケースにおいては、その政治的な意識の裏づけとなるような幾つかの試みが結実し、興味深い話が複数出てくるようになりました。

たとえば、千葉市熊谷俊人さんという現職最年少当選の若き市長を選んだ結果、市政のコストの見える化が進んで、サイトで誰もが「このサービスは本来いくらで成立しているものなのか」が把握できるようになりました。ツイッターでも時々名言を吐いて暴れるなど、名物政治家の道を着々と歩んでいる面白政治家です。

で、千葉市民が納税した市民税が、千葉市の市政、公共サービスにどのように使われているのかが一目で分かるようにしたところ、他の市政でのコスト比のベンチマークが取れるようになってきました。もちろん、非公開を貫くマイウェイな自治体も多いわけなんですが、外形的に基礎自治体の「能力」が評価できるようになると、埋もれた可能性から絶望するべき未来まで、定量化できるようになります。

私は3人の男の子を養っていまして、現在6歳5歳2歳で、道路にチョークで落書きをするなど日々ろくなことをせず公共サービスのお世話になっているわんぱく三人組です。もしも、彼らが千葉市で暮らしていたのならば、部分的に支援される一人目二人目は月額3万7,091円、全額支援される三人目は15万9,467円の補助を千葉市から受けることになります。

もしも、3人とも保育園に入っていたのだとすれば、保育費について私の世帯は月間の保育料3万4,095円を支払う代わりに、月間のサービスとして23万3,649円相当の額を千葉市から受けていることになります。

この差額に見合う住民税を私が払っていれば、私は千葉市に対して税収の上で貢献する市民だという話になるわけです。控除やなんやかやありますが、この保育園のところだけで考えるならば、市民税は6%ですので、月額およそ20万円の千葉市の負担を市民税でカバーするぜとなれば年収がざっと3,991万必要だ、ということになるわけです。

興味のある人は、千葉市の市民税解説ページでも見てください。私は別に千葉市長の回し者ではありませんが、こういう試みのおかげで得られる知見もまた、多いように思うんですよね。それも、この試算は保育料だけの話で、ここにさらに消防だ警察だ上下水道だ道路橋だ国防費だといった費用が乗っかってきます。

国税庁が発表している平成24年度における身近な財政支出と国民1人あたりの負担額,警察・消防費が総額5兆949億円で国民1人あたりに換算すると約3万9955円にあたる,ゴミ処理費用が総額2兆768億円で国民1人あたりに換算すると約1万6287円,国民医療費の公費負担額が総額15兆1459億円で国民1人あたりに換算すると約11万8777円

国税地方税においては、所得税だけでなく、消費税や法人税その他の税収もありますが、国税についていうならば、全体の歳入の14%ぐらいが所得税です。

財務省が発表している一般会計税収の推移を示したグラフ,2011年時点で所得税が13.5兆円で法人税が7.8兆円で消費税が10.2兆円となっている

我が山本家は、私と家内、暴れん坊の子供3人と、介護が必要な高齢者2人、元気な高齢者2人と猫ちゃん2匹わんちゃん1匹がぶら下がって暮らしていますが、ざっと計算すると、全部を私個人の所得で世間様に迷惑をかけないように回そうとすると税引き前の年収で8,400万円ほどかかる計算になります。

ここからさらに、公共サービスに頼らない個人的な親父お袋の扶助とか、子供の送り迎えとか、わんちゃんの散歩とかといった家庭の雑事が数多降りかかってくるわけです。さらにはPTAやら地域会やら、なんかかんか役割が押し付けられて、粛々と対応していくわけであります。なんか、人生を見ていると40歳を超えてから、ずっと誰かの面倒を見ている気がします。

山本家における愚痴はともかく、法人税収の減少が今後起きるとするならば、個人納税者への負担が一層高まっていくであろうことは容易に想像がつきます。痛税感(つうぜいかん)とか、重税云々という奴ですね。まあ、税金を払いたくないという素朴な感情は誰にでもついて回るものです。一万円多く税金を払うぐらいなら、外食でうまいものでも食いたいと思うのが人情ですからね。
自立した国民になるためには、
納税を行い、地域に貢献し、子供を育み、
高齢者を可能な限り養うことが求められる

ただ、社会保障費が増大していくよという見込みの強くなっている昨今、足りない財源をこれまで国債の発行で埋めてきたツケをこれから払うことになります。つまり、今まで高度成長だ日本人の誇りだといってきたプライドを維持するための費用を、私たちや次の世代が負債として返していかなければならない年代に差し掛かったぞということです。

すなわち、社会に富を与える生産ができなくなった高齢者が多いほど、それを支える労働力も資金も必要になるけれど、稼ぎが少ない働き手が納める税収が伸び悩むと、その地域や暮らしは一気に貧しくなるぞ、ということです。

「一人当たりの平均納税額」から、「一人当たりが受けた公共サービスの平均額」を引くと、控除や相続その他の山や谷も馴らして計算するならば概ね年間230万円から、310万円程度の差が出ます。これはつまり、一般的な国民が納めている税金よりも、多くの市民サービスを受けていることになります。

ただ、言い方は悪いですが、普通にがんばって暮らしていても、所得が低く納税額が低ければ、生活しているだけで「社会のお荷物」になってしまう危険すらあります。もちろん、これらはあくまで「一人当たり」という国民全体の平均であって、高齢者が増えれば一人当たりの納税額は低くなる傾向がありますし、働いて得た賃金とは別に働き先が法人税その他を納めているわけですから、あくまでそういう試算がある、という話ですが、ひとつの参考にするべきは、公共サービスを支えられるだけの自立した国民になるためには、納税を行い、地域に貢献し、子供を育み、高齢者を可能な限り養うことが求められることになります。スーパーマンかよ。
890~920万円程度の所得があって初めて
「社会に貢献している人」「税金を納めているからと
文句を言える資格のある人」ということになってしまう

そこで、この問題を考える上で出てくるのは「担税力(たんぜいりょく)」という耳慣れないワードです。

社会的なニーズに対する政策の一部は、税制大綱(ぜいせいたいこう)という国の税金の体系の方針に色濃く現れますが、これを見ると、我が国が解決しなければならない問題が浮き彫りになってきます。『税理士法人名南経営』がまとめているサマリーは非常に良くできているので、ざっとご覧いただけると我が国の取り組むべき課題が良く理解できます。

税理士法人明南経営が公表している平成28年度税制改正大綱の概要について,法人税改革は法人実効税率の「20%台」への引き下げや法人事業税の税率引き下げと外形標準課税の拡大など,個人所得税関連では医療費控除の特例措置(セルフメディケーションの推進),消費税関連では消費税の軽減税率と適格請求書等保存方式の導入など

たとえば、国民にとっては不公正感のある法人税の引き下げは、例のパナマペーパー問題などにも見られるように大企業優遇の政策に見える一方、世界的な法人税引き下げ競争に日本が負けると、文字通り企業が納税するべき本社を海外に移転してしまったり、法人の作り出す雇用がなくなってしまいます。

ここでいう担税力とは結構主観的な概念で、別に厳格な計算式があるわけではありません。単に、社会的に「まあ、このぐらいは税金を負担して当然だろう」という線引きをしながら、不当な苦痛を感じずに日々を暮らしていくための税率ってどのくらいなんだろうね、という話であります。

ところが、普通に計算すると現在国内で行われている公共サービスがかかっている実費そのままに国民一人当たりの税負担額とするならば、過去に発行した国債などの償還を除いても890万円から920万円程度の所得がないと、国は社会を維持できないという計算になります。

法人税や固定資産税など、他にもさまざまな税金が取られていますので、一概に所得税だけの問題ではないのですが、ざっくりとした計算でもこのぐらいの所得があって初めて「社会に貢献している人」とか「税金を納めているからと文句を言える資格のある人」ということになってしまいます。それに満たない所得の人は、担税力がそもそも不足しているので、このような公共サービスを受けることで実質的な所得移転、貧富の格差解消を為されている、と判断されることになるのです。
戦後の高度成長期の蓄えをほとんど使い切った日本は、
どんどん貧しい国になっていく可能性が高く、
衰退期に入りつつある

厳しいようですが、格差問題というのはすでに納税の段階から判別できるものなのですが、それ以上に問題なのは、日本社会は戦後の高度成長期の蓄えをすでにほとんど使い切って、どんどん貧しい国になっていく可能性が高い、衰退期に入りつつあるということでもあります。

国の税制と、暮らし向きの劣化は、政治の問題でもありますし、日本社会の風土の問題でもあります。単純に言うならば、右肩上がりの経済成長に慣れ親しみ、昨日よりも良い明日が来るという保障がまったくなくなった今、社会的に富を生み出さない高齢者を政治や社会がこれ以上優遇することは難しくなるでしょう。

そうしたとき、最終的に頼ることができるものは何なのか、何かあったときに支えになる存在は何かということを、少しでも考えておいて対策を打っておくことの大事さは、噛み締めておかないといけないだろうなあと思うのです。

自分自身や家族の健康がまず第一で、そこからがんばって働いてしっかりとした稼ぎを得て、社会に貢献できる人物になるために何が必要か、不足の事態が起きたときにどのような備えがあるのかを考えておくことが肝要なのではないかと感じます。
(みんなの介護ニュース やまもといちろうゼミ)