iPS他家移植 慎重な手続きで前進を

 患者自身の細胞からiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り、ここから治療用の細胞・組織を作って患者に移植する。拒絶反応を回避できる点でiPS細胞利用の利点とされてきた方法である。

 ただし、そこには弱点がある。一人一人の患者にあわせてオーダーメードのiPS細胞を作るには膨大な手間ひまやコストがかかり、品質管理も難しい。治療のタイミングを逃してしまう場合もあるという点だ。

 そうした自家移植の弱点を克服しようと京都大の山中伸弥教授らが進めてきたのが他人の細胞を備蓄して使う「iPS細胞ストック」だ。理化学研究所や神戸市立医療センター中央市民病院などは来年前半、これを利用した「他家(たか)移植」の臨床研究を始める計画を公表した。

 iPS細胞を使った再生医療の実現に一歩近づくと期待される一方、こうした試みは始まったばかりである。iPS細胞ストックも構築途上にあり、一部の人に対応できるだけだ。安全性にも有効性にも未知の部分が残されており、今後の手続きを慎重に進めてもらいたい。

 理研チームは2014年9月、目の網膜の障害で視野が暗くなったりゆがんだりする加齢黄斑変性の患者に、患者自身の皮膚からiPS細胞を経て作った網膜色素上皮細胞を移植した。これを皮切りに複数の患者への臨床研究が計画されていたが、2例目で患者のiPS細胞に遺伝子変異が見つかり、移植を見送った。

 今回の計画では京都大からiPS細胞ストックの提供を受けて理研が網膜細胞に変化させ、中央市民病院と大阪大で加齢黄斑変性の患者に移植する。自家移植と違い、移植までの待機時間が短縮でき、コストも大幅に削減できるという。

 ただ、iPS細胞を利用した移植には細胞ががん化する懸念が残されている。14年11月に施行された再生医療安全性確保法の対象でもあり、実施の可否は、今後、実施施設の委員会や厚生労働省の部会の審査などを経て決定される。こうした研究は、今後、他の疾患にも広がる可能性があり、最初の症例として、何に重点をおいてチェックすることが妥当か、ポイントを洗い出すことにも留意してほしい。

 患者への移植とは別に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やパーキンソン病など難病患者のiPS細胞を使って病気を細胞レベルで再現し、原因究明につなげたり、新薬の開発に役立てたりする研究も進められている。移植による再生医療より広がりが大きい分野だと考えられ、こちらにも力を入れてほしい。難病克服にはiPS細胞以外の治療法開発も重要で、予算の配分や研究体制のバランスを取ることも必要だ。 (毎日新聞2016年6月8日 東京朝刊社説)


iPS細胞
目の難病、移植再開へ 理研、京大・阪大などと

 理化学研究所高橋政代プロジェクトリーダーは6日、神戸市内で記者会見し、さまざまな組織に変化する能力があるiPS細胞(人工多能性幹細胞)から作った細胞を目の難病患者に移植する臨床研究を再開すると発表した。今回から患者以外の人の細胞から作ったiPS細胞を使う。来年前半の移植を目指す。

 理研は、京都大iPS細胞研究所、大阪大、神戸市立医療センター中央市民病院と協定を締結。京大が作製したiPS細胞を理研が移植用の網膜色素上皮細胞に分化させる。阪大と市民病院は、悪化すると失明の恐れがある「滲出(しんしゅつ)型加齢黄斑変性(かれいおうはんへんせい)」の患者に移植する。

 理研などは2014年9月、患者自身のiPS細胞から作った細胞シートを網膜に移植する手術を世界で初めて実施。2例目として行う予定だった手術は患者のiPS細胞に遺伝子変異が見つかり、移植を見送っていた。

 患者自身の細胞からiPS細胞を作ると安全性の確認などにコストと時間がかかるのが課題だった。他人由来のiPS細胞を備蓄して安全性を確認して利用すれば、約11カ月かかっていた移植までの待機時間も1カ月程度に短縮でき、手術1回当たり億単位に上っていたコストも圧縮できるという。拒絶反応が起きにくい型の提供者の血液細胞からiPS細胞を作る。また、今回からシート状にした細胞の移植に加え、細胞が入った液を目に注入する方法も行う。

 記者会見した高橋リーダーは「将来的に1000万円を切る可能性もある」と話した。京大iPS研の山中伸弥所長は「移植する細胞の安全性を徹底させたい」と語った。大阪大の澤芳樹教授は「大学を挙げてプロジェクトを応援したい」と述べた。【畠山哲郎、大久保昂】

■ことば
加齢黄斑変性

 網膜の中心部の「黄斑」と呼ばれる部分に異常が起き、視野の真ん中がゆがんだり暗くなったりする病気。悪化すると失明につながる。老化に伴って、網膜の内部で視細胞を維持する「色素上皮」の機能が低下して起こる。現行の治療は新たに血管ができるのを防ぐ薬を注射するなど対症療法のため、再生医療に期待がかかっている。国内に約70万人の患者がいると推定される。